【私の秘密、教えます〜お仕事篇〜】

「人は、それまでの人生で選択したことの総体である」

アマゾン創設者、ベゾスはそう語る。

 

最近まで、鬱病に冒されていた私。(自己診断)

「鬱」って字もろくに書けないくせに、鬱を語っていた。

 

大きな原因があるわけでもなく、

仕事に行きたくなくて、

モチベーションあがらず、

多いときで一日3回泣いたりすることがあって

5〜7月結構苦しかった。

 

でも、周りをじっくり見てみたら、

私より苦労している人だらけで、

困難極めてるのに笑顔でがんばってる人もいて、

なんか自分が自分を鬱状態にしてたんやなと感じた。

 

そんな私だが、幸せに感じる事、ラッキーな展開に成る事が多く、

それをどのようにつかんでいくかを私なりに分析してお伝えしようと思う。

 

今回は、お仕事篇。

包み隠さず、赤裸々に話すので哀れんでもいいけど、バカにしないでいただきたい。

(いや、やっぱどっちも嫌やな!笑)

 

大学卒業して、1ヶ月NEETをした。

4年生大学を、休学を挟んで留学したため5年で卒業。

 

 

そのあげく、NEET。

親もさんざん心配だっただろう。

 

「就職活動」ってものに全然ピンとこなくて、

卒業を1年遅らせたことにより不運にもリーマンショック重なり大就職難の幕開け。

 

でも、私に関して言えば、決してリーマンショックのせいではなく、

私自身の就職活動の姿勢の責任だった。

 

NEETの間は、ベトナムに行ったり、

国際関係の活動にアタックしたり、小論文書いて就活したりはしたけど、

私なんかの英語のレベル、浅い経験ではどこでも取ってもらえず。

 

アフリカの奥地での就労にもひっかからず、途方に暮れていた。

 

そこで、絶対に受かりたい!と思った会社があり、

私は恥ずかしながら初めてリクルートスーツに袖を通した。

 

でも、就活の知識なんか全くない私は、

スーツにショッキングピンクのハンドバッグで面接に挑んだ。

 

そして、2時間もしないうちに採用の通知がきた。

 

 

私は、そこで「アルバイト」として働く事になった。

 

当時は、アルバイトってことに特になにも感じず、

「働きながら資格を取れるようにしたかったので」

という名目で、

正社員でない自分になんだか言い訳を作っていた。

 

そこでは本当に学びが多く、

人との対応、ビジネスマナー、パソコン、人間力に至るまで

本当にさまざまな事を教えてもらった。

 

しかし、社会保障などの問題は常に隣り合わせで、

貯金もできず(それは1年に1回急に海外に飛ぶからだけれども。。)、

安定しないから「結婚」の「け」の字も頭になかった。

 

 

時はすぎ、

転職しようと思ったときに

やはり

「教育」

という文字が私の中で浮かび上がった。

 

結局探していたのは「学校の立ち上げ」「日本語教師」「学校事務」など、

教育関係に携わる事、英語を仕事で使えるものだった。

 

前職は、美容関係だったのだが、

ファッションに疎い私にとってはいつも出会う美容師さん達が本当に別の世界の人のように見えた。

 

そして、大学時代に経験した日本語教師アシスタントでベトナムにいたころを思い出し、

奮起。

 

日本語教師養成講座の1年コースを即決し、

仕事終わってからの夜間学校にいくことを決めた。

 

なけなしの貯金をほぼ使い尽くした私。

 

やるっきゃないし、貧乏性やから誰よりも多く学びたい!と、

毎回授業の30分前には学校へ行き、

かぶりつき席を1年間キープ。

質問しまくり、発言しまくりで

クラスメイトからは

「キャプテン」というオーソドックスなあだ名を付けられた。

 

先生方もすっごいおもしろくて楽しい方で、クラスメイトも同世代が多く

ほんまに一生の仲間に出会えた。

 

そこで転機が訪れる。

 

私は「好きなことは口に出してどんどん言う」タイプなので、

学校でもだいすきなベトナムの話をじゃんじゃん話した。

 

そして、ようやく卒業でき、

就職活動をはじめようとした。

 

そのとき、通っていた学校から呼び出しがあった。

 

 

なんでも、

私のクラスに時々振替受講していたクラスメイトのおじさまが私と話したいんだと。

 

 

それが、後の上司である。

 

 

なんでも、その人は日本語学校を新設で経営するため日本語教育とはなんぞやを知るために学校に入ったそうな。

 

そこで、これからターゲットになるであろうベトナムについてやたらぴーひゃら話すアグレッシブな学生を見つけた。

 

それが、ありがたいことに私だったそうだ。

 

ベトナムの情勢や学生の気質について教えてほしい、

とオファーがあり、

ある短大の女校長とも同席で食事をすることに。

 

私も、大好きなベトナムの事なら!と、

簡単な資料を作成し、よりベトナムについて熱く語れるように準備だけはしていった。

 

すごく2人とも気さくな方で、

楽しく食事をすると、

 

「ところで、あなたは今仕事は何してるの?」

 

と聞かれた。

 

 

「今は、美容関係で事務のアルバイトをしています。

 

学校は卒業して、今は就活中です☆」

 

とペロリと伝えた。

 

 

すると、そのおじさまの目の色は変わり、

 

 

「履歴書をください。」

 

 

そう言ってもらえた。

 

履歴書は就活中常に持っていたが、

貧乏性な私はサンプルを裏紙に印刷したものしかもっていなかった。

 

 

しかし、「それでもあなたの履歴書が欲しい。」

 

と言ってくださったので手渡した。

 

 

「一緒に日本語学校を立ち上げないか」

という話がきたのはそれから数日のことだった。

 

私自身、まさかチラシの裏に印刷した履歴書で職がきまるとは夢にも思わなかった。

 

 

正直、保証はどこにもないということは始めから伝えられた。

 

成功するかどうかも分からないが、

やってみないか、と。

 

私はそのとき、1社海外で内定をもらっていたが、

それを蹴って、

おじさまの夢にかけてみることにした。

 

今考えたら、1つ1つの選択のタイミングが絶妙だったことに気づく。

 

 

前職で3年半働いたからこそ、アルバイトだったにしても社会経験が積めた上に

学校にも毎回いくことができた。

 

そして、そこでの出会いで新しい正規としての就職先も見つかった。

 

また、余談ではあるが、その日本語教師養成講座の講師のつながりで出会った人が

今の夫である。

 

数年前までは、

自分が日本語学校で働く事も、

スペイン人と国際結婚することも予想だにしなかった。

 

・好きなことは口に出して言う。

・かぶりついて学ぶ。

・インスピレーションに従う。

 

シンプルにそんな日々を繰り返してたら

見てくれている人は必ずいる。

 

そう学んだ日々だった。

 

最近、色んなことにモチベーションなくて長引いた5月病を引きずっていたけど、

 

そろそろリセットしないと。

 

全然入社2年、もうすぐ3年目やけど、

『入社1年目から「できる人になる」43の考え方』

著 安田 正 

出版 ワニブックス

を読んで、初心に返った。

 

これからの2年、5年先の目標見据えて旦那と幸せな人生計画をたてていこうという

気持ちになった。

 

 

明日からはもっと笑顔で人生たのしも!

 

 

んちゃ!!!

 

 

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