【ふくしまで見たホント】

テレビを見なくなってから、

生の情報が降りてくるようになった。

 

2011年3月11日。

あれから3年。

 

2012年にダンス支援として福島を訪問して依頼2年ぶりにその地を踏む事になった。

(ブログ参照①:http://ameblo.jp/yuimocca/entry-11258101329.html)

(ブログ参照②:http://ameblo.jp/yuimocca/entry-11258920337.html

 

あの時は、放射能の心配もあり、

なかなか子供達が外で遊べない状況だったので、

室内でも、一人でもできるダンス講習は子供達にすごく喜ばれた。

 

しかし、一人の女の子のことが今も胸に深く刻まれている。

 

学童でのダンス講習が終わったとき、

1人の少女が私の足にしがみついてこう言った。

 

「どうして私たち、お外で遊んじゃいけないの?」

 

学童の先生も言葉をつまらせる。

 

私はどう答えていいか分からず、

「お外には、

見えない怪物がいるねん。

でも、私たちが倒してくるから、

それまでは今日習ったダンスを踊って元気に待っててな。」

 

そう言うと、笑顔で「うん!またきてね!」と駆けて行った。

 

 

すごく、すごく、その事が気にかかっている。

 

 

そして、2年がすぎてしまった。

 

震災から3年がたって見えてきたもの、見えにくくなってきたものを下記に項目別に記そうと思う。

 

私が目で見て、現地で話して、体験してきたことを1人でも多くの人に知ってほしい。

「シェアして終わり」ではもう間に合わない。

そして、今日、

ここから行動してほしい。

※  福島県を訪れたため、原発問題に深くつっこんでいきます。これを読む方が賛成派か反対派かは分かりません。ですが、素直にこの話を読んで頂けたらと思います。

 

【0. 報告】

2014年4月13日に行った、East Japan RE: project主催 東日本復興支援チャリティーイベントで集まった義援金を全日本民主医療機関連合会 福島県会長へ直接届けてきました^^

義援金受け渡しEast Japan RE: project

East Japan RE: project

 

【1. 私たちが今日からできること】

「被災地の人の為に

なにができますか。」

 

現地の人はこんな質問をよく受けるらしい。

 

被災地で暮らす伯父はこう語る。

 

「1つは、

 

福島に遊びに来てください。

 

福島は自然に囲まれたすばらしい場所です。

旅行して、おいしいもの食べて観光して福島でお金を使ってくれたら、

それが何よりも復興に繋がります。」

CIMG7449

 

「そして2つめに、

 

節電をしてください。

 

特に東京や大阪の大都市の皆さん。

電気の無駄遣いを防げば、原発なしでも生活できるということを立証して、

二度と福島で起こったことを繰り返さないでください。

これからの自分達のことを守ってください。」

 

これは、私の伯父に限らず、ある旅館の女将さんもこう話していた。

「今は、放射能も除染されこの地域の放射線量は安全だと確認し、

福島にとどまることを決めました。

 

私たちのことは、もういいです。

皆様にしていただきたい事は、

身の回りにある原発を止めてください。

こんな思いをするのは、もう私たちだけで充分です。」

 

自分たちは、被災し、被爆したのにも関わらず、

逆に離れた私たちの未来を気遣ってくださるこの姿勢に生命の真の強さ、

日本人のひたむきさに心を動かされた。

 

【2. 結婚・離婚】

「原発離婚」

 

福島で仕事があるお父さん、でも子供を福島で育てたくないお母さん。

やむを得ず別居することになり、

そのまま別れてしまう家族がたくさんいる。

特に、高齢者の夫婦に離婚が増えたらしい。

そしてまた、原発事故のせいで結ばれないカップルもいた。

結婚相手が福島の人で、嫁ぐ先が福島なら結婚させられない、と親からの反対で結婚を破談にするケースも相次いだ。

 

でも逆に、「この際婚」という現象も起きた。

この際、福島にいてここにとどまるなら結婚して一生福島に住もうと決めた人たちもいた。数は歴然、前者の方が上回っているが、

後者のように結ばれる夫婦もいたようだ。

 

今回訪問した、渡利病院でのお話。

2011年〜2012年には、看護師の退職者が30名に達した。

そのため、他府県からは看護師や医師のヘルプが駆けつけ病院の業務に携わった。私の母もその一人で2週間応援に回った。

 

そこの師長さんが笑顔でこう語る。

「今年は、8名新人看護師を迎える事ができました。

そして、だんだん子供達が戻ってきたんです。

最初の2年はみんな子供を生む事は控えていたけど、ある職員が子供を生むと決めて去年元気に生まれました。

そのことがみんなに勇気を与えて、今年はベビーラッシュなんです^^」

 

その笑顔はとても輝いていた。

 

【3. おとな】

福島県が全国男女とも肥満第一位に。

放射能が心配なため、外になかなか出る機会もなくなり、

震災のストレスから酒やタバコ、過食が進み、

肥満率が全国一の県になってしまった。

婦人服売り場では3L~5Lの服売り場2/3を締めるスーパーも目立つようになってきた。

 

【4. こども】

2014年4月、震災以後初めて外で運動会が開かれた。

 

プール開きは2013年からようやくぱらぱらと開始。

子供達も、大人と同様、肥満率が激増。

 

ストレスで過食も増え、子供同士のいじめも増えたとのこと。

 

外で元気に遊ぶ子供は激減し、

西の方の比較的線量が低い公園では連日子供が集中しごった返している。

 

【3. 学校】

飯館村の小学校:

現在は仮説小学校が建設され、そこに3つの小学校が1つの場所に集約されている。

そこには、1学年8〜10名ほどしかおらず、校長もそれぞれの小学校分三名が在職している。

→なぜ統廃合しないのか?

いつか故郷の小学校に帰れる事をめざして、統廃合しないまま運営している。

6年後には上記3つの小学校出身者がいなくなるため、この小学校が今後の飯館村の未来を決定づけるキーポイントにもなっている。

福島仮設小学校

【3. ふくしまの食べ物】

当団体、East Japan RE: project(東日本復興支援団体)として

被災地支援を続ける中で今まで寄付したお金の使い道がひとつここにある。

・  ベクレルモニター(1台:130万~200万円)

ベクレルモニター

・  ホールボディーカウンター(工事費:2000万・機材本体:8000万円)

ホールボディーカウンター

上記は、前者が食べ物の中に含まれた放射線量測定器

後者が体内にある放射線量測定器。

 

ベクレルモニターで福島県各地域の野菜を検出するも、

特にトマト・きゅうり・じゃがいも・レタスからはセシウム不検出という結果に。

きゅうりに関しては100%不検出。

 

正直、福島はどの県より徹底して放射能をはかった上で全国に出荷されているためどこの野菜より安全。

逆に周辺の地域では、

 

「もし放射能をはかって検出されたら売れなくなるから、ハナから検出しない」

と決めている県も多数ある。

 

【4. 被爆した土】

放射能を浴びた土は、地上から5cm以下には下にいかないことから、上の部分ははぎとられ、ビニール袋につめられて

 

居住制限区域など、人が住まなくなった土地に無造作に置かれる。

ビニールで覆われた土。

汚染土

放射能が消えるのって何万年もかかるっていうじゃないか。

 

ビニールやポリ袋が、何万年も持つのだろうか。

 

私たちは未来に残される子ども達に責任をとれるのか。

 

 

【4. あるおじいさんとの出会い】

あるおじいさんにあった。

クリントイーストウッド似のイケてるおじいさん。

 

大久保金一さん(73歳)

仮設住宅で生活中、

不眠・腹痛下痢・頭痛が治らず、精神科でカウンセリングを受けるも改善されず、

居住制限区域になっている「自宅」へ帰ると上記症状は消滅。

 

95歳の母と共に今は※居住制限区域になっている飯館村で暮らしている。

放射能洗浄基準として、国は0.23を基準としている。

しかし、金一さんのいた場所は1.836とかなり高いが、母と残りの人生はここに暮らす事を決意。

 

※  居住制限区域:昼間は開放されているが、そこに寝泊まりはしては行けない等、文字通り居住が制限されている区域。

 

金一さんの夢:

現在取り組んでいる、ふくしま再生の会(東大農学部)の皆さんや、全国から補助が集まり、一人一人が名前をつけた桜の木の寄付が集まっている。

ふくしま再生の会

3年〜5年後に桜の満開を目指して庭や畑に水芭蕉を植えて飯館村の再生をはかる。

 

「人生は、自分が死んで終わりではなく、地球にいきたという責任感と感謝を持って終えること」

 

と身を以て教えてくれた。

今では全国から250本の桜の苗木が寄せられている。

目標は300本だと笑顔で語る金一さんの姿が印象的であった。

 

<批判>

仮設住宅を勝手に抜け出して、居住制限区域に住むことへの批判も強いそうだ。

 

「自己責任」「そんな人に関わらない方がいい」

 

など、色んな意見は出てくることも多い。

福島に住んでいる人も批判されることがある。

 

しかし、住む決意をするのも容易な物ではなく、

自分のふるさと、何万年も続いた先祖代々の土地、そう簡単に出れるものではない。

 

また、日本が福島県民200万人の受け入れ先を用意し、

生活保護を提供できる政府を保持しているのだろうか。

 

ただでさえ、生活保護バッシングが多いなかで、

福島県民を受け入れる事で特に首都圏の人の生活保護の受給ハードルがあげられると、派閥が起きるのは目に見えている。

いじめ、差別の問題もあり、かなりの覚悟で福島にとどまる事を決めた人が多い。

 

TPP問題、生活保護バッシング、原発問題…色んなことのしわ寄せがあらゆる人を苦しめ、

繋がって1つの大きな問題になっていると痛感した。

 

仮設住宅で精神科に通いながらの人生より、

金一さんは被災地に花をさかせることを選んだ。

 

【5. 想い】

ここに来て、改めて、人間の強さに直面する。

 

現地の人たちはものすごく笑顔で。

 

被災地以外の地域の人たちのことを気にかけてくれてる。

 

怒濤の日々を過ごしてきた人だからこそ、他者を思いやる気持ち、

二度と自分たちのような思いを連鎖させてはいけないという

 

責任感のようなものさえ感じた。

 

もう一つ驚きだったのは、当初から継続的に民医連に支援を続けているのはほぼ、私たちの団体だけだということ。

 

「“続けること”簡単にできることじゃない。だからものすごくありがたいし、何より元気をもらっています。」

 

そんな言葉をたくさんプレゼントしてくれた。

 

福島の中でも、色んな派閥が起きていて、

原発反対派の中でも、その考えは細分化し、

批判が生まれている。

 

国や、世界でも同じことが起こっている。

 

人の数だけ、意見があり、それに伴う争いが耐えない。

 

「何と戦っているのか分からなくなる」

 

なんてことが日常茶飯事で。

 

この短い旅の中でも、感情のコントロールや思いのやり場に苦労した。

 

「分け合えば足りる」

 

それでも人は奪い合う。

 

 

福島にきているのに世界で起こっている色んな問題を抜本的に見直して改善していかないといけないと思った。

 

でも、まずシンプルに節電をしてみたり、節約をしてみたり。

 

福島や被災地を訪れて、おいしいものを食べて現地にお金を使ったり、

 

外で遊べない子ども達のために、

1人でも屋内外問わずできるダンスを教えたり、

 

遊具を寄付したり、文房具を送ったり・・・

 

 

支援の仕方は無限にある。

 

足りない物を足りているところから補える社会にしていきたい。

 

私たちにできることは、実はそんなに難しくない事を

行動した上での結晶を持って効果を発揮するんだと思う。

 

少しだけ、自分の日常を振り返ってみてください。

 

無駄遣いをしていないか、

 

他者を思いやれたか、

 

周りを愛せているか。

 

繋がっていないようで実はつながってる。

 

悪い事がループするように、

 

良い事も波紋してひろがっていく。

 

 

「助け合い」が「普通」になる社会を目指して。

 

 

これから、新たなプロジェクトを進めていこうと思います。

 

詳細は追ってシェアします。

 

長々と書きましたが、これが1人でも多くの人に届くことを願って。

ふくしまの空

Yui Sasaki Diaz

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